私の副流煙を吸って

 
 元クラスメイトのはらしゅん・M嬢と三人で、王子の小さな舞台で行われた演劇公演を観に行った。フリーター(というよりはニート)の青年を主人公としていて、彼の周囲に起こる出来事を描きながら、様々な人物の心理をスケッチしていくようなものだった。この演出家の手掛けた舞台を以前にも観たことがあるのだけど、舞台上の空気や観賞後の印象などは、そのときに通じるものがあった。少し重たい空気、次々と断片的な状態で投げかけられるテーマ、ヒステリックなシーン…。
  
 自分が高校演劇をやっていたときにも感じていたけれど、学生演劇は小さな世界に閉じこもってしまう傾向にあると思う。一つには、各団体が小規模である上、あまりシステム化・マニュアル化のできない分野であるために、ひとりひとりの費やす時間やエネルギーが大きくて、皆、目の前のものしか見えなくなってしまうから、ということが言える。そして、もう一つには、公演の観客が、同じような学生演劇の関係者や、その友達や家族に限られてしまうことが影響しているのだろう。
 
 だから、意識していないと、すぐに内輪受けに陥って、クオリティが下がってしまう。例えば、演じている役者の普段の姿を知っているからこそ面白く見える「笑い」で自己満足に浸っている劇も多い。もし次回作に活かす反省をしようとするのなら、観る側が、本当に意味のある批評・論議をしなければいけない。でも、付き合いで観に来ている観客にとって、その覚悟を引き受けるのは難しい。